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毎年、24節気の小満の頃(5/21頃)に福島県昭和村のからむし畑が一斉に焼かれる。この頃が一番土が乾燥する時期なんだそう。自然との対話でいろんな作業が決定していく、それは今でも同じで全く人間主体ではない。農業は便利な機械などが出来てより効率的でスピーディーにはなったが、このからむしに関してはほとんど昔と変わらない事を今でもやっている。

このからむし焼は発芽をそろえるためと、害虫駆除、燃やした藁を肥料にするために行われる、昔はポンプ等という便利な物が無かったので、火を消すのに人力で水汲み、水まきが必要だった。そのため、火が見える夕方に一斉に行われ、この時期の昭和村の空は真っ赤に燃えるようだったそうです。さぞかし奇麗だったことでしょう。

からむしはイラクサ科の宿根草。根が健康な限り毎年出て来るので、まんべんなく芽が出てるかどうかをチェックし大丈夫なら雑草をとり焼く準備にかかる。根がダメならいい根を探し株分けする。
畑を焼くにはかやを使うのだが、以前は茅葺き屋根を交換した物を使ったりもあったし、使い道が多かったのでかやはいつも手に入る植物だった。今は屋根にも使わないので準備しておかないとないそうだ。

このかやは、里山において獣と人間をうまく隔てていた物だったのだと。
今はかやもあまり育てないし、里山の管理もずさんになりがちで、熊や猿、シカなどと人間の領域の区別が無くなって来た事が昨今の問題を引き起こしている。動物達が悪いのではなく人間が面倒くさがったのが原因。
だからといって、茅葺き屋根を推奨する事は今となっては出来ない事なので、昔の事や昔の人の話を聞き、今後につなげていくしかないだろう。

話を戻して、かやもからむしも同じだが根っこの方を頭、伸びて行く方を裏と呼ぶ。逆に感じるだろうが、繊維の方向はこれで合ってるのです。

かやのあたまは垣根に、うらは燃やすのに使います。必要な尺に切り分けて裏をいい塩梅に敷いて行く。厚過ぎても薄過ぎても上手くないのです。

敷き終えたら、風が止むのを待ってお昼休憩、もしくは別な畑をやる。

昔は夕方まで火は付けなかったが今では水をポンプであげれるので風が少し止めば火をつける。
ただ、山に燃え広がらないようにする事だけは慎重にやっていた。
風上から火をつけると一気に燃え広がり、1時間もしないうちに焼けてしまった。
焼けた後は水を撒き火を消し、肥料を撒く。この肥料の配合次第でいい物がとれるかどうかが決まるので、このような換金作物の場合、誰も教えてはくれないのだ。
秘密の配分の肥料を撒き、その上に藁を敷いて行く。
この藁は遅霜を防ぐ為と、雑草や害虫を防ぐために敷くそうです。

藁敷きが終わったら、垣根作り。

その前に、豪華な一服タイムが待っていた。田舎では当たり前なんだろうけど、都市部暮らしからするとめちゃくちゃ豪華なおやつだった。えごまのおはぎ、大きな煮タマゴ、そして旬の山菜盛りだくさん!おやつというより、立派な食事でした(笑)

お腹が一杯になったところで、垣根作り。人手が無い所はネット等で代用してるそうだが、昔からのやり方はかやを藁で編んで行くやり方。こちらのほうが見た目もいいでしょ。
これも人手が多いとあっという間だった。おぼつかない手つきながらも終わる頃には軽快なリズムで出来るようになっていた。

この囲いは風よけ、獣よけ、雑草除け、そして人間が入らないようにするための物。
そう、垣根を作ったら刈り取りの7月下旬までは一切手をかけません。
なので、土、根っこ、肥料が重要なんですね。

ここ、昭和村にはスーパーもなければ、病院も無い、コンビニも無ければネオンなんて物も飲み屋も無い。不便な事だらけだとは思うが、ここの年寄りはここが最高だと言う。
最初はこんな不便な所は住めたもんじゃないなと思っていたが、何度か来て、作業をし、話を聞いているうちに、不便という物は便利以上に幸せが転がっているし、それは都会以上に自分達次第なんだと思った。
手間ひまを惜しまない生活をすると、都会でも田舎でも何も変わりがない便利な生活が送れると思うね!

若い頃は田舎から少しでも早く逃げたかったのだから、田舎はいいぞ~なんて言えた義理じゃなんだけどね。
ま、それだけ自分も歳取ったのかもしれないな。

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